私は、今の職業に例えると「薬剤師」でした。
夫を亡くして間もなく、魔女として告発されました。
すると水の溜まった地下牢に入れられました。
そこには女性が多かったのですが、別の牢に男性が数名いました。
それから拷問が始まりました。
言葉では説明の出来ない苦しさでしたが、時々、楽になったんです。
これは医者に聞いて知った事ですが、失神すると楽になるんだそうです。
意識が朦朧としていた時、火刑が決まりました。
けれど、苦しみが無くて、これで終わったと言う安心感がありました。
これも医者に聞いた事ですが、拷問の間に痛覚などが壊れていたのではないか、と言う事でした。
私も拷問の苦しさを考えると、心身ともに壊れても、不思議では無いと思いました。
拷問は、それくらい苦しいんです。
私は男性で武士でした。
幼い頃から「人を殺す事」を教えられ、剣術の修行は日課でした。
15歳で初陣を果たし、人を斬る事に快感を覚えました。
その年に、13歳の妻を娶りました。
現代では考えられないくらい、彼女は「大人」でした。
19歳の時に、武士の友人に裏切られ、怒りのあまりに友人の背中を斬って殺してしまいました。
当時の武士には、許されない行為でした。
私は切腹しなければならなくなりましたが、自分の望みでもありました。
切腹は不思議な経験でした。
斬った腹が熱いだけで、痛くはないんです。
介錯の必要も無く、自分で頚動脈を斬りました。
眠るように意識が消えて行きました。
死にたいと思う気持ちが決まっていれば、苦しみなんか無いんです。
何かの被害にあった人に対して、よく使われる言葉だけれど、私は、この表現が嫌いです。
被害者が「愛犬家」だったら、傷ついてる上にカチンときます。
犬に噛まれた程度で収まる被害か、考えてください。
PTSDの患者の方なら分かると思います。
毒蛇に噛まれたように、いつまでも「痛み」は残り続けます。
フラッシュ・バックは、何度も「被害を受けた瞬間」を追体験させます。
精神科医は「忘れる事」を患者に勧める事が多いのですが、これは解離性障害の患者の方には逆効果です。
忘れたと思っていたら「人格」が増えていたりするからです。
私が、そうでした。
PTSDを完全に克服する方法は、ひとつしか無いんです。
「自分から何度も思い出して、平気になる事」
精神病の治療は、必ず最も苦しい方法を選べば、確実に治ります。
私達は、人格全員が、そうやって克服してから「解離性障害」の治療に挑戦しています。
今回も最も苦しい方法を選びました。
共存完治です。
健康な方にも言える事ですが、人は「知らない言葉」は言えないんです。
ドイツ語なんて、行った事も勉強した事もなければ、すらすら話すのは無理です。
げれど病名や薬の名前だけなら少し分かる、という人はいると思います。
それと同じで、他人に「暖かい言葉」を言える子は、そういう言葉をかけてもらったから、知っているんです。
クラスメイトに対して、耳を塞ぎたくなるような暴言を吐く子は、そういう言葉を浴びせられた経験があるから、知っているんです。
現代はマスメディアの影響か、幼い子が恐ろしい言葉を知っています。
これは「現実の世界で言ってはいけない」と誰かが教えてあげないといけないんです。
教師には不可能です。