Hatena::Diary
   
はてな
 ようこそゲストさん  最新の日記 ユーザー登録 ログイン ヘルプ

イデアの世界

<前の10日分 

2004-01-29 私が生まれた理由

先日の診察で分かったことですが、私が生まれた理由は、他の人格とは全く違っていました。

重症のDIDの方は、基本人格を探す事が難しいのだそうです。

けれど、私は5歳の桜が閉じ込められた時に作られた「空想の姉」なのだそうです。

これは珍しい事では無いそうです。

10歳未満の子供が転校などで、孤独な想いをした時、幽霊と遊んだ、という体験談があります。

耳にした人は多いと思います。

新しい環境に慣れると、現れなくなる幽霊は、怪談には当てはまらないんです。

精神科医に言わせると、これが「空想の友人」の正体なのだそうです。

私は「空想の姉」で消えるはずだったんです。

けれど、5歳の桜にとって「空想の姉」だけでは、自分を支えることが出来なかったんです。

無意識に人格を作ってしまったそうです。

私も「空想の姉」から人格に変化してしまったんです。

私が、元は「空想の姉」だったから、基本人格が「5歳の桜」だと知っていたんです。

「空想の姉」が人格になってしまうのは、珍しいことだそうです。

実年齢よりも年上の人格が多い患者は、守ってほしいという願望の現われだそうです。

年下の人格が多い患者は、甘えたいのだそうです。

[コメント]

2004-01-28 幸福を求める権利

現代、この国では全ての人に「幸福を求める権利」が保障されていると思っている人は、多いと思います。

違います。

「権利」と言う表現が間違っています。

レ・ミゼラブル」の小説の様に、誰かが幸福を掴む時、誰かが幸福を失うのは、変わらないんです。

「幸福を求める義務」が正しいんです。

何度、不幸になっても、幸福を追いかける「義務」です。

親に「教育を受けさせる義務」など必要ないんです。

子供に「教育を受ける権利」を与えるべきです。

その「権利」は、いつでも放棄しても良いと思います。

「幸福を求める義務」を守り続ければ、恐れるものなど、何も無いんです。

[コメント]

2004-01-26 前世の記憶・一向一揆

私は農民の女性でした。

当時の農民は、恋愛が自由でした。

武士の記憶では、妻を選ぶ事は、許されません。

本当に愛している女性がいても、側室にすればいいと言われて、辛い思いをした武士は、多かったんです。

私は16歳の時、おさななじみの17歳の男の子に「俺と夫婦にならないか?」と軽く言われました。

私は、彼が好きだったから、うなづきました。

それに、現代でいう「婚前交渉」は、普通の事でした。

彼は「よし決まった」と言って、二人で庄屋の家に報告しました。

プロポーズから、結婚成立まで1日です。

その年は、飢饉でした。

彼は「闘う」と決めました。

私は、砥石で、鍬を尖らせました。

自分の武器には、鎌を研ぎました。

彼は「お前は来るな」と言いましたが、私は「子供がいれば行かないけれど、一緒に行く」と答えました。

彼は判ってくれたのだと思います。

抱き合って「どんな結果になっても後悔しない」と言葉を交わしました。

当日、彼は鍬で、刀を折って、敵に大怪我をさせました。

恐ろしい光景なのに、私は、彼を誇りに思いました。

私も、鎌で、怪我をさせました。

大した怪我では無かったから、左の肩から、右の腰まで、ばっさりと刀で斬られてしまいました。

倒れながら、彼が斬られるのが見えました。

それでも何の恐怖も感じませんでした。

ただ「極楽浄土で会える」と思って、意識が消えました。

[コメント]

2004-01-25 前世の記憶・禁酒法

この時、男性に生まれていました。

アルコール中毒などでは無かったのですが、好きな方だったので、禁酒法は辛かったんです。

それで、マフィアから酒を買って飲む事もしていました。

法律の方が間違っているように思って、仕事を捨てて自分も売る側になりました。

この時、妻とは別れました。

その方が収入にもなったし、酒を簡単に安く手に入れられました。

それから、新しい女を妻にしました。

美しく奔放な女性、と言えば聞こえは良いけれど、外見が美しいだけの「あばずれ」だったと思います。

けれど私は、この妻も、新しい生き方も、スリルに溢れたもののように感じました。

とても楽しんでいました。

禁酒法が終わる事など、考えていませんでした。

しかしマフィアとあの「アンタッチャブル」の抗争が始まりました。

その後、禁酒法は無くなりました。

私が晩年、貧しい日を送り、孤独に死ななければならなかったのは、書くまでも無いと思います。


[コメント]

2004-01-23 前世の記憶・吉原

とても貧しくて、11歳で奉公に出される事になりました。

すでに、姉が13歳の時に奉公に出ていて、時々「御土産」を持って帰って来て、楽しそうに笑っていました。

姉は奉公している家から、お嫁に行って幸せになったので、むしろ喜んでいました。

けれど不思議に思う事が起こり始めました。

代金の「米俵」が姉の時よりも多く、小判まであったんです。

自分が姉より価値があるとは思えませんでした。

船に乗せられた人は、私と同じくらいか、当時の感覚で、大人と呼べるのは15歳の人くらいでした。

船の中で、名前を「よね」から「菊市郎」に変えられました。

通行手形を見せた船乗りと役人との会話を聞いていると、船に乗っているのは全て男性だと言っていました。

吉原に着いても、どういう事が自分の身に起こっているのか、判っていませんでした。

最初は現代で言う「家事手伝い」のような事をしていました。

13歳から礼儀作法や日本舞踊を勉強させられました。

仕事はしなくても良いのかな、というような事を考えていました。

14歳の頃、客を取るように言われました。

意味も判らないまま、ただ痛かったのを覚えています。

これが新しい仕事なのだ、と言われて怖くて逃げようとしました。

すぐ捕まってしまって、縄で縛られて、閉じ込められました。

空腹に耐えられなくなった時、おにぎりをもらいました。

とても美味しく感じられました。

新しい仕事をすれば好きなものが食べられるけれど、しないなら飢えて死ぬ、と言われました。

私は新しい仕事をすると答えました。

15歳の時、妊娠してしまいました。

すると、お腹を散々蹴られて、赤ちゃんは死にました。

この事は、当時の私には意味が判らなくて、他の遊女に「普通の事」と言われて納得しました。

その後も新しい仕事を続けようとしましたが、痛くてできなかったんです。

困っていると、新しい仕事だと言われて、綺麗な着物を着せてもらいました。

着いた家は、武家の家でした、

そこで私が「酒の肴」として、余興で嬲殺しになりました。

[コメント]

2004-01-22 前世の記憶・ベルリンの壁

私は東ドイツの男性でした。

西ドイツ恋人がいましたが、会えませんでした。

彼女手紙を送ってくれました。

手紙の中で、届いていないものがある、と気づいていました。

こちらからの手紙も、何割が彼女の手に渡っていたのか分かりません。

それでも、彼女手紙に書かれている西ドイツの世界に憧れました。

彼女がいるから、それだけでは無かったんです。

豊かで自由な国を思い描いて、彼女に会いたいと思っていました。

私は壁を越えようと決めました。

けれど、射殺されてしまいました。

私は壁から落ちながら思いました。

何故、会いたい人に会えないのか。

何故、行きたい国に行けないのか。

何故、幸福を求めてはいけないのか。

地面に倒れて、意識は消えました。

ベルリンの壁崩壊の日、テレビで映像を観ていると、涙が溢れました。

これが本来のあるべき姿だったのだと感じました。

あの時代は間違っていたんだと、そう思いました。

[コメント]

2004-01-21 前世の記憶・カースト制度

当時の私はインドの少女でした。

9歳で60歳近い男性の家に嫁がされました。

当然恋愛感情などありませんでしたが、常識だったんです。

早いほど良いと言われていて、もっと年下の友人が結婚していました。

5、6人の妻がいるのは普通の事で、私より年上の妻達は、とても親切でした。

全員に恋愛感情が無いので、嫉妬も無いんです。

13歳の時、夫が亡くなりました。

私以外の妻は、夫の死体と一緒に生きたまま「火葬」されました。

現代では考えられない事ですが、共に死んだ方が幸福だったんです。

その後、私は「実家」にも帰れず、夫の家からも追い出されてしまいました。

共に死ぬ勇気が無かったと言われて、私は13歳で、カースト制度の最下層である「奴隷」にならなければなりませんでした。

餓死するのに、時間はかかりませんでした。

[コメント]

2004-01-20 前世の記憶・フランス革命

私はフランスの男性でした。

この記憶は、私にとって最も大切な記憶です。

8歳の時「髪の短い綺麗なお姉さん」に会いました。

この「お姉さん」が、あのジャンヌ・ダルクだったんです。

少年の私は、彼女が戦場で戦っているなんて、想像できませんでした。

あの優しい笑顔のお姉さんが、と信じられませんでした。

火刑にされると聞かされて、ありえない、と思って、刑場へ行きました。

現代の映画などでは、彼女は炎の中で苦しんで死んでいったように描かれていますが、違います。

最初は藁のようなものが山積みにされていて、中に彼女がいる、と教えられました。

私は、別人ではないか、と思いました。

火が付けられても、燃え上がらなかったんです。

しばらくして、処刑人が藁を外しました。

取り替えるつもりだったのか、それは分かりませんでした。

中には、確かに彼女がいました。

けれど、眠っているように安らかな表情で、息が絶えていました。

その表情は、8歳の時に見た彼女と変わっていませんでした。

私は、彼女の死後、大人になって戦いました。

死を恐れる気持ちはありませんでした。

大人の男になった私は「あの少女が戦ったのだ」と思えば怖いなんて思いませんでした。

私の中の聖女ジャンヌ・ダルクは勇敢な女性ではなくて、生涯にわたって忘れられなかった初恋の女性です。

[コメント]

2004-01-19 前世の記憶・奴隷制度

私はイギリス人として、アメリカに移住しました。

その時の一生は、平凡な女性でした。

けれど、とても恐ろしい行いとしていました。

黒人の人が家畜よりも安い値段で、競売にかけられていて、私も夫と相談して買っていました。

「品物」を選ぶような感覚で、彼らに命が宿っていると思っていないんです。

息子が奴隷に鞭をふるうのを見ても、平気なんです。

彼らが肉体の痛みを感じても、苦痛を感じる心が無いと思っているんです。

私も夫も息子達も、白人に対しては優しさも思いやりも礼儀もあって、友人の些細な不幸に涙しているんです。

なのに、奴隷には些細な過失を理由に、平然と殺してしまうんです。

近所の白人の家庭も、同じでした。

街の大きな木に、殺した奴隷を絞首刑のような形で、ぶらさげていました。

目を覆うような形相も、ズタズタの身体も、腐りかけた死体も、何も感じないんです。

催眠から現実に戻ってから、鬱状態と、恐怖のせいで不眠症になりました。

けれど前世の私にとっては、平凡な生涯だったんです。

[コメント]

2004-01-18 前世の記憶・第二次世界大戦

私は23歳のアメリカ人の男性でした。

戦争が始まって、日本中国でしていることを知って、怒りを覚えました。

ナチスユダヤ人にしていることを知って、迷わず兵役に就きました。

自分の国であるアメリカを、誇りに思っていました。

日本ドイツのしていることを「殺戮」と感じるのに、自分が日本人を殺しても、殺した、という意識はありませんでした。

私は頭を撃ち抜かれて、即死しました。

けれど、苦しいんです。

死にたくなかったんです。

身体から魂が抜けないんです。

軍医が死亡確認をしても、死んだことが信じられないんです。

仲間に「生きている」と言おうとして、声が出ないのは怪我のせいだと思い込んでいました。

葬儀で牧師の言葉を聞いて、やっと意識が消えました。

[コメント]